この投稿には、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルは「花巻電鉄」である、との花巻市民の意見を「肯定」する内容が含まれます。
これはつまり、宮沢賢治の「銀河鉄道」を「蒸気機関車の鉄道」とするのは「誤り」であるとの「家井美千子」氏の論文を「肯定」する内容でもあります。
(6/3追記)(9/29整理)(10/1再投稿)(10/29再投稿)(11/5再投稿)(12/1修正)(プリオシン海岸挿話:12/20修正)(12/26:(3)修正)(2/27修正)
以下、そのように考えられる「事情」を列挙します。
(1)銀河鉄道の動力はアルコールか電気であり、蒸気機関車ではないこと。
(この点について非常に多くの指摘があります。)
宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」で登場する「銀河鉄道」のモデル(原点)は花巻電鉄(当時の花巻電気軌道)であるとの説が有力です。
つまり宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」を構想する際に、頭をよぎったのは先進的な「花巻電鉄」であり、古典的な「岩手軽便鉄道」ではなかったのではないかということです。
なぜなら賢治は銀河鉄道を「アルコールか電気」で走ると記載しているからです。
「銀河鉄道−その動力源はなにか−」とする「家井美千子」氏の論文では、賢治の当時の経験から「銀河鉄道」は「電気」が「動力源」であるとしています。
同氏は、「銀河鉄道の夜の読み」で「銀河鉄道=蒸気機関車の鉄道は誤読であろう」と指摘したうえで、この「考えを変更する必要はない」としています。(2014.03付論文)
なお、この点(蒸気機関車ではない点)については非常に多くの同様の指摘があります。
(2)銀河鉄道の車内照明は、先進的な「電燈」であるのに、岩手軽便鉄道は古典的な「灯油ランプ」であったこと。
銀河鉄道を「岩手軽便鉄道」とした根拠と思われる
「夜の軽便鉄道のちいさな黄色の電燈のならんだ車室」
との記載(花巻商工会議所)も、むしろ「銀河鉄道」から「岩手軽便鉄道」を除外しているように思われます。
なぜなら「岩手軽便鉄道」の「車内照明」は2灯の古典的な「灯油ランプ」です。
これは当時の「岩手軽便鉄道」の「客車」の写真を見れば一目瞭然です。
岩手軽便鉄道の客車をみると、屋根上から車内へ「灯油ランプ」を差し込むようになっています。
これは明治の古典客車では一般的な構造です。
薄暗い古典的な「灯油ランプ」の車内は、黄色の「電燈」のならんだ先進的な車室には、とても該当しません。
当時の「花巻電気軌道」は、東北初の電気鉄道であり、電灯会社の経営ですから、車内照明は当然に「電燈」です。
つまり、賢治が説明した銀河鉄道の車内は、まさに先進的な「花巻電鉄」のものです。
以上の指摘は、あまり見られません。しかし明治時代から大正時代の鉄道を知る皆さんからみれば、あたりまえのことです。
(3)宮沢賢治は先進的な花巻電鉄には何度も乗車しているのに対して、古典的な岩手軽便鉄道を利用したのは少数にとどまること。
賢治が先進的な花巻電鉄を何度も利用したことは良く知られています。
(賢治の遠戚が鉛温泉であったこともあります。)
作品中で用いられる乗車経験は、まさに花巻電鉄の車両そのものです。
(賢治の作品群の「鉄道」のモチーフが「花巻電鉄」であるとの意見もあるようです。)
それに対して古典的な岩手軽便鉄道を利用したのは、仙人峠調査の際の利用など少数にとどまります。
(「岩手軽便鉄道の一月」が描く「情景」が「どこを描いたものなのか」の解釈も様々なようです。)
(4)軽便鉄道=岩手軽便鉄道、との思い違い。
(どうもこの勘違いが大きいようです。しかし銀河鉄道を近未来の乗り物と考える賢治には失礼な勘違いです。)
当時は軽便鉄道法による新線建設が盛んでした。
現在の「北上線」も、当時は「横黒軽便線」として開業しました。
同様の例として、現在の「秋田新幹線」こまち号が走る「田沢湖線」の前身である「橋場線」も、当時は「橋場軽便線」として開業しました。
つまり賢治には「東北本線」以外の鉄道はぜんぶ「軽便鉄道」であったわけです。
ですから、賢治が「軽便鉄道」と記載していても、「東北本線」でなない、という程度の意味でしかありません。
(5)銀河鉄道の夜に登場する「プリオシン海岸」のエピソードの挿話について。
このエピソードは、もともと別の独立した随筆風の作品(または構想段階のメモ)を挿入した可能性が高いといわれます。
プリオシン海岸挿話については「米地文夫氏」の論文が参考になります。
なお後記するのは同氏の論文ではなく「googleAI」によるものです。
詳細は【後記】します。(12/20追記)
(6)「NHK」も「岩手軽便鉄道」から「花巻電鉄」に軌道修正。
2008年のNHK「ローカル鉄道の旅」では「銀河鉄道の夜」は岩手軽便鉄道がモデルであると紹介しました。
しかし2019年12月7日に放送された「ブラタモリ」では
「宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」の銀河鉄道の乗り物は、煙を吐き出す石炭で走る「蒸気機関車の汽車(SL)」ではなく、花巻市内を走行していた「電気で走る電車(花巻電鉄)」である。」
としたようです。
これは上記の「家井美千子」氏の論文が影響した可能性があります。
【一応の結論】
以上の通り、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」を構想する際に、頭をよぎったのは先進的な「花巻電鉄」であり、古典的な「岩手軽便鉄道」とするのは無理がある、と考えることが自然です。
閑話休題、昭和44年9月1日に花巻から西鉛温泉までの軌道線が廃止されました。
50年前の風景が広がります。
なお昭和44年8月31日である可能性が高いと思われます。
(1)鉛温泉駅です。
まもなく最後の電車が発車します。
(2)鉛温泉駅での入換風景です。
これで見納めとなります。
隣接する県道は舗装されています。
(3)軌道線は未舗装の県道を走ります。
過酷に見えますが当時の県道としては普通でした。
続行する電車の車内からの撮影です。
(4)他ブログからの転載です。
最後は馬面電車が人気者です。
【追伸(6/1)】
宮澤賢治の銀河鉄道の夜は「1924年ごろに初稿が執筆され、晩年の1931年頃まで推敲が繰り返された」(wiki)とされます。
他方で花巻電鉄は、1913年に花巻電気軌道が設立され1915年9月16日に軌道線の一部が開業し、これは「東北地方初の電気鉄道」であった (wiki)とされます。
そうすると、先進的で鉄道好きであった宮沢賢治が、「東北地方初の電気鉄道」の「花巻電気軌道」に関心が向かないハズはありません。
【後記追記(12/20)】『銀河鉄道の夜』に登場する「プリオシン海岸」と岩手軽便鉄道について
以下googleAIの回答です。
プリオシン海岸挿話については「米地文夫氏」の論文を参照ください
宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に登場する銀河鉄道の停車駅「白鳥の停車場」から降りて訪れる「プリオシン(Pliocene)海岸」は「イギリス海岸」での体験が投影されます。
ところが『銀河鉄道の夜』に登場する「プリオシン海岸」のエピソードは、もともと別の独立した随筆風の作品(または構想段階のメモ)であったものを挿入した可能性が高いと考えられています。
具体的には、以下の点が指摘されています。
(1)異質な挿入部分
『銀河鉄道の夜』の幻想的な旅の描写の中で、「プリオシン海岸」のエピソードは、地質学的な記述や化石発掘の描写など、非常に写実的で科学的な要素が強く、作品全体の中で異質な部分とされています。
(2)モデルとなった随筆
このエピソードのモデルとなったのは、宮沢賢治が実際に岩手県花巻市の北上川河畔の地層を「イギリス海岸」と名付けて調査し、その様子を記した随筆(「イギリス海岸」や、関連する「サガレンと八月」などの未完作品の要素)であると考えられています。
(3)創作過程での追加
『銀河鉄道の夜』は未完の作品であり、賢治は生涯にわたって何度も書き直していました。この「プリオシン海岸」の挿話は、初期の草稿にはなく、後の段階(第三次稿以降)で挿入されたと考えられており、研究者の間では「プリオシン海岸挿話」と呼ばれています。
以上のとおり、この部分は元々独立した(あるいは別の)作品の要素を転用・挿入したものである、という解釈は広く支持されています。
以上、googleAIより
このことから、当時の岩手軽便鉄道がイギリス海岸近くを走っていたことを根拠として賢治の銀河鉄道のモデルが岩手軽便鉄道であるとするのは無理がありそうです。
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