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秋田新幹線 田沢湖線 橋場線と宮沢賢治の化物丁場 2025.03.31追記 橋場軽便線 橋場休止線 2025.05.14後記を追記して再投稿

秋田新幹線が走る田沢湖線は、秋田県側の大曲・生保内間の生保内線と、岩手県側の盛岡・赤渕間の橋場線が仙岩トンネルで結ばれたものであり、昭和41年10月20日の開業です。

以下、橋場線の開業から現在に至るまでの経緯を簡単に振り返ったものです。
今回は宮沢賢治の「化物丁場」にふれます。

大釜駅などの記事は次回(2)にします。
記事が整理されておらず羅列的な点はご容赦ください。

(1)橋場線の盛岡・雫石間の開業
秋田新幹線 田沢湖線 橋場線と宮沢賢治の化物丁場 2025.03.31追記 橋場軽便線 橋場休止線 2025.05.14後記を追記して再投稿_f0406950_15343437.jpg
橋場線の盛岡・雫石間の開業は1921年(大正10年)6月25日です(*1)。
開業当時・当日印の絵葉書が残ります。

(2)橋場線の雫石・橋場間の開業
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橋場線の雫石・橋場間の開業は1922年(大正11年)7月15日です。
開業当時の案内図です。

上が南なので盛岡が左、雫石や終点橋場が右になります。
(本図の出典が不明です。ご承知のかたはご連絡ください。)

(3)雫石・橋場間の休止
秋田新幹線 田沢湖線 橋場線と宮沢賢治の化物丁場 2025.03.31追記 橋場軽便線 橋場休止線 2025.05.14後記を追記して再投稿_f0406950_15345096.jpg
雫石・橋場間は1944年(昭和19年)9月30日に休止されます。
上図は休止を告げる官報です。
中央線の国分寺・東京競馬場前間の休止と同じ日でした。

(4)田沢湖線全通と秋田新幹線
秋田新幹線 田沢湖線 橋場線と宮沢賢治の化物丁場 2025.03.31追記 橋場軽便線 橋場休止線 2025.05.14後記を追記して再投稿_f0406950_15345498.jpg
休止となった雫石・橋場間のうち、雫石・赤渕間は1964年(昭和39年)9月10日に新設路線(*2)として開業し、1966年(昭和41年)10月20日に赤渕・田沢湖(旧生保内)間が開業して「田沢湖線」となりました。

1987年JR東日本へ承継され、改軌を経て1997年(平成9年)3月22日に「秋田新幹線こまち号」の運行が開始されました。

普通列車にはE701系標準軌版とも言える5000番台が充てられました。
上記画像は盛岡駅の701系5000番台の「赤渕」行きです。

(5)橋場線と宮沢賢治 化物丁場
秋田新幹線 田沢湖線 橋場線と宮沢賢治の化物丁場 2025.03.31追記 橋場軽便線 橋場休止線 2025.05.14後記を追記して再投稿_f0406950_15350546.jpg
橋場線の雫石・橋場間には難工事区間がありました。
「化物丁場」です。

「化物丁場」は「掘っても、盛っても、元に戻ってしまう」丁場とされます。
宮沢賢治は橋場線建設工事の難工事区間について「化物丁場」との作品をのこしました。

「化物丁場」の場所は諸説ありますが、現在はほぼ特定されているようです。
橋場線の雫石・橋場間、現在の田沢湖線の春木場・赤渕間の化物丁場と思われる付近です。

秋田新幹線の左上から右下への流れがみてとれます。
(画像はgoogleによる)


【宮沢賢治の化物丁場】
宮沢賢治「化物丁場」には、以下のことが記載されています。

『五、六日続いた雨が上がった朝、私は西の仙人鉱山に用事があったので、黒沢尻で軽便鉄道に乗った。車内は比較的空いていたが、車内から、昨日までの洪水の話が聞こえてくる。そんな声の中から、
「雫石、橋場間、まるで滅茶苦茶だ。レールが四間も突き出されてゐる。枕木も 何もでこぼこだ。十日や十五日でぁ、一寸六ヶ敷ぃな。」
という声を聞いた私は、化物丁場の話であることを悟るのであった。私はその声の主である工夫に向かって、
「あゝ、あの化物丁場ですか、壊れたのは。」
と、問いかけると、相手もなぜ私が「化物丁場」を知っているのか興味を持ったようであった。』
(以上アマゾン抄)

(6)宮沢賢治の「化物丁場」の信憑性
宮沢賢治の「化物丁場」の信憑性について、「KAJIMAダイジェスト・March 2011:特集「鹿島岩蔵 激動の明治を生きた実業家」・鉄道」には、以下のとおり記載されています。
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【化物丁場】
鹿島組の盛岡を拠点とした鉄道建設は,その後も久慈線や山田線など深い繋がりを持ちましたが,宮沢賢治の「化物丁場」という短編に登場する橋場線(田沢湖線)もその一つです。
その橋場線のある区間は,しばしば土砂崩れで鉄道が不通になる。
それで「化物丁場」と呼ばれていた。
そんな話を軽便鉄道(横黒線)の車内で線路工夫から聞いたことからストーリーが始まる。
丁場というのは,工事の受持ち区域とか工区の意味です。
その工区を請け負ったのが鹿島組だったのを多分賢治は知っていたのでしょう。
軽便鉄道の車内で車の標のついた袢纏(はんてん)で鉄道工夫を見分けたことが下書稿にある。
鹿島組は「かねカ」の印袢纏を採用し,盆暮れに請負業者から下請けの職方に与えたと聞きます。
これを着られる職人は第一級とされ,質草にしても破格の値がついたという。
質屋をしていた宮沢家にも鹿島組の印袢纏が持ち込まれたのかも知れません。
この短編は一見ルポルタージュ風ですが,よく読むとフィクションだと気がつきます。
既に各地の鉄道工事を請け負い,技術の集積ある鹿島組が,下請けとはいえ線路基盤に盛った砂利を何度も崩壊させる工事をするのは疑問です。
その証拠に鉄道省編『橋場線建設概要』を調べても「化物丁場」と目される第3工区で,てこずったらしい工事記録を察知できないのですから。
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以上のとおり宮沢賢治の化物丁場には若干の誇張がある可能性があります。

==以下2025.03.31追記==

(*1)【橋場軽便線】
国有鉄道の軽便鉄道法利用により開業したため「橋場軽便線」として開業しました。次回説明します。

(*2)【橋場休止線】
橋場線の雫石・橋場間は休止のままであるため、赤渕・橋場間は休止線のまま残ります。
同時に「休止」された東京競馬場前は、昭和22年4月24日、運輸省告示第107号で旅客運輸営業に限り、営業が「開始」されました。

橋場線の休止線の営業を「開始」せず「新設」としたのは政府補助の必要から説明する向きがあり「政治」路線とする意見もありますが、予算編成のうえで休止路線の途中までを再開する手続きの煩雑さを避けたと理解できます。

なお休止線が存置されたまま新線建設がなされたこと、赤渕・橋場間が休止のまま存置することなど「橋場線の謎」などで検索すると廃線マニアの記事にあたります。

【後記追記】橋場線の雫石駅-橋場駅の区間が廃止されたとるする記事が一部見られます。しかし上記の通り橋場線の雫石駅-橋場駅間は廃止されておらず、それどころか雫石-赤渕間は現在「秋田新幹線」が通過する重要路線として存置します。赤渕-橋場間は休止のまま鉄道建設公団へ移管されました。(2025.05.14追記)


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by denshakamera | 2025-05-14 14:56 | 鉄道 | Comments(0)

団塊の世代から高度成長期の趣味といえば、プラモ・鉄道模型・切手・カメラでしょうか。今も続いているのが電車・カメラ。なのでdenshakameraです。