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昭和57年7月内房線浜金谷

昭和57年7月の内房線、竹岡・浜金谷間での撮影です。
当時は浜金谷駅徒歩でした。房総急行は153系、165系が最後の活躍をしていました。

(1)101M内房1号両国発館山行きです。館山側の前3輌は165系、後7輌は153系の10輌編成です。館山寄りクハ153は高運転台です。両国寄りクハ153は低運転台と思われますが確かではありません。館山寄りクハ165のヘッドマークは健在です。(このころ盗難が相次いだとのこと。)


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(2)102M内房2号館山発新宿行きです。101Mと保田での列車交換です。館山側から165系クモハ+モハ+クハ、クモハ+モハ+クハ、クモハ+モハ+サロ+クハの10輌編成です。
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(3)1Mさざなみ1号東京発館山行きです。183系で館山側からクハ+モハ・モハ×3+サロ+クハの9両編成です。昭和47年の東京地下駅開業と房総東西両線の電化完成に伴い導入され、長大トンネル対応のAA基準、間合い普通列車利用を想定した2扉、非常用貫通扉などwikiのとおりですが、その後の規制緩和に伴い非常用貫通扉は不要となりました。(217系の増備車から貫通扉がなくりました。)
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(4)139M千葉発安房鴨川行き113系普通列車です。4M2Tの6輌編成で全車冷房非搭載です。当時は首都圏通勤輸送の冷房化が緒に就いたばかりです。(両国駅の投稿をご参照ください。)

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(5)104M内房4号館山発両国行きです。(1)の内房1号の館山折返し編成です。

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(6)5Mさざなみ5号です。浜金谷駅へ戻って撮影したものです。クハ183前頭部の塗り分け変更(乗務員扉塗装廃止、前灯上部傾斜塗装。)は181系置き換え用として急遽投入された上越特急とき用の1000番台からです。貫通扉の有無もあり、0番台と1000番台のイメージは大きく異なります。上越線への1000番台投入は昭和47年の房総特急運転開始のわずか2年後です。これは昭和48年冬の豪雪で181系特急ときの運休が多発し社会問題化したことから、急遽の投入となったとされます。

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Commented by 風旅記 at 2024-02-07 12:36
こんにちは。
房総への急行列車、東京地下駅が開業した後の利用は振るわなかったのでしょうか。
少しでも早く着きたいニーズに対して両国始発の急行列車は分が悪かったのだろうと思いますし、列車の設備もボックスシートでは見劣りしてきたのだろうと想像しています。
アクアラインができ、特に内房の鉄道は完全に負けてローカル輸送だけに近い状況ですが、思えば、千葉方面の鉄道の所要時間はお写真の時代からほとんど変わっていないのだろうと思います。
高速化の手を付けられることなく、体質的には久留里線のような路線が今も残る千葉エリア、どうしても懐古の目で見ることが多くなってしまいます。
Commented by denshakamera at 2024-02-08 15:24
> 風旅記さん
東京地下駅開業前の房総急行の約半数が新宿始発であったことから、東京地下駅開業後の新宿始発の房総急行にも一定のニーズがあったかと思います。
但し両国始発の房総急行にニーズがあったかどうかは判りません。
少なくとも撮影当時の昭和57年には東京地下駅始発の183系房総特急が房総急行を圧倒しています。
東京湾アクアラインの内房線への影響は、以下のことから間違いないと思われます。
木更津市の人口は1990年まで増加、その後も漸増傾向にあります。
これに対して木更津駅の平均乗車人員は1990年代以降減少傾向にあります。
東京湾アクアラインの完成が1997年です。
木更津駅の平均乗車人員の減少が1997年以降顕著になっています。
このことから東京湾アクアラインへ乗客が移動したと考えるのが自然です。
by denshakamera | 2023-09-14 20:56 | 鉄道 | Comments(2)

団塊の世代から高度成長期の趣味といえば、プラモ・鉄道模型・切手・カメラでしょうか。今も続いているのが電車・カメラ。なのでdenshakameraです。